講演会ではケニアの首都ナイロビの中心街や住宅地、地方農村カンダラの住宅とその家族、そして人類発祥の地であるテゥルカナ湖周辺の風景について、スライドを見ながらお話しました。今回は話題を変えてお話します。
皆さんは何故学校に通っているのか、何故通うことが出来るのかを考えた事があるでしょうか。人によって様々でしょうが、ケニアの状況は今の我々とかなり異なっている様です。
ケニアには、日本における小学校と中学校を合わせた九年間に当たるプライマリースクールと、高校三年間に当たるセカンダリースクール、そして各種の専門学校・大学があります。国内の大学が七校であることから、大学進学者が日本と比較にならない程僅かであることは想像に難くありません。しかし、大多数の国民の教育上の関心はプライマリーやセカンダリースクールへの入学・卒業です。ケニアでは一組の両親が育てる子供数の平均は五~六人で、ナイロビでは三~四人と少なく、地方では七~八人と多くなる傾向にあります。例えば、五人の子供の全員にセカンダリー卒業の資格を与える事は、ほとんどの両親にとって不可能です。授業料はセカンダリーで一学期四〇〇〇シリング、一年間では一二〇〇シリングです。加えて本代や文具、制服代、食費の実費が必要となります。私が赴任した一九九一年の夏には、一シリングは五円でした。(現在一シリングは一円五〇銭です。)当時、事務職公務員の平均月給が二〇〇〇シリングと言われていましたから、半年分の給料を注ぎ込んで子供一人を一年間通わせる事ができるのです。
プライマリーでは授業料は無料ですが、本代等の実費は親の負担です。地方ではこの実費を支払う事ができない場合が多いのです。子供たちをプライマリーに通わせることが普通になりつつあるのはナイロビだけで、地方では全員を通わせる事は難しく、生徒としてよりも労働力としての役割が子供に課せられます。ですから入学したとしても、働き手となる五・六年生で中退したり、耕作や収穫期以外のみ出席したりします。政府は何をしているのかと疑問に思われるでしょうが、国家予算の三〇%を教育費に割り当てての事なのです。
このような状況の中でも自分の職業に希望を持ち、進学したいと願う子供がいても不思議ではありません。調査で訪れたカンダラの町では「ハランベー」と呼ばれる助け合いの制度によって、進学の機会を与えていました。困った人が町にいれば、皆で話し合って助けようという精神です。私も五〇〇シリングの寄付を頼まれました。プライマリーを優秀に卒業して、次への進学を希望する女子生徒がいて、皆で授業料を集めているとの事でした。この地域での現金収入の多くはコーヒー豆の生産に頼っています。不作時の食糧不足を覚悟の上で、トウモロコシの植付け面積を減らしてコーヒー豆を増やします。多くの親が子供に教育の機会を与えたいと願って現金収入を得ようとします。町中の人々が多少に関わらず、一人の生徒のためにお金を出し合います。
寄付をしてから二ヶ月程後、その生徒が進学出来るだけのお金が集まったと、町長さんから感謝をされました。ただし、この生徒の弟や妹には「ハランベー」によって進学できる順番は回って来ないとのことでした。家族の生活を切り詰めてでも、自分たちの町から一人でも多くの子供を進学させたいというのが、親心であり町の人々の願いなのです。その願いは日本でも同じでしょう。しかし、事態は異なります。意思も異なります。日本から見れば貧困に映る事態でも、カンダラの女子生徒は大きな責任と共に、自身の強い意志を持って学校にかよいはじめたのではないでしょうか。
取り留めのない話になりましたが、皆さんにとっての「何故」を問いかける機械にして頂ければ幸いです。